平凡なマーケターはお茶を濁す
閑話
「え〜、足立区って治安悪いところだろ?」
言われ慣れている一言、正直何回も言われていてもはや訂正する気にもならない。
先日、高校の頃の友人と久しぶりに連絡を取り、近況について話す機会があった。
当然、今住んでいるところのことなんて、いの一番に話す情報であり、
なんとなく場つなぎに会話のネタにするのにはうってつけだった。
実際のところ、足立区の治安は現状ではそんなに悪くないと思う。
下記の記事なんかにも書かれている。
とまぁ、近年の足立区は犯罪発生密度的には、23区中22位と、都内でも屈指の犯罪発生密度の低さを誇るのだが、世間の方々が抱くイメージは結構真逆だったりする。
冒頭に戻る。
友人「え〜、足立区って治安悪いところだろ?」
自分「はは、そうだね〜笑。この間も猫がゲロなめてたよ笑」
友人「きったねぇ笑」
僕はこの時、足立区の治安は良いと言い返すこともできたが、しなかった。なんというか、空気を読んで、お茶を濁したのだ。人との会話の中では時に、正しいことよりもテンポを重要視した方が良いというのは、20数年生きてきてなんとなく知っていたから。
その後も何とは無しに、内容のない近況を話して、電話を切った。50分くらい電話していたので、そろそろ夕飯の時間だった。買い出しに駅前のスーパーに行く。途中、駅のペデストリアンデッキから「おかげさまで、また減りました!」というのぼりが見えた。
「あんまり浸透してないですよ」と口には出さずに、スーパーに向かった。
閑話休題
なんとなく、ブログを小説っぽく描き始めてみた。本当にただの趣味なので、不快に思った方は、ここから読んでくくれれば良いと思う。おそらく自分でも1週間後の夜とかに読み返して後悔するに違いない。
今回のブログを読むにあたって「ステレオタイプ」というワードを使う。
一般的にも浸透している言葉なので、あまり説明はいらないと思うが、所謂「思い込み」とか「イメージ」みたいなものである。
今回は、この「ステレオタイプ」と、冒頭の「閑話」にて話した足立区の治安問題の一件にて思うことがったので、書いておく。
ステレオタイプと訴求
モノやサービスを売る時、ステレオタイプというのは非常に重要な要素となる。例えば「野菜は国産の方が良い」「セーターはカシミヤが良い」とかの売り文句をよく聞くと思う。これは、すべてステレオタイプだ。
実際のところ、日本国産の野菜の農薬使用量は非常に高く「国産の方が良い」とは言えないかもしれない。FAO(国連食糧農業機関)の統計によると、日本も11.4kgの農薬を使っており、中国の農地1haあたり13kgという世界トップレベルの数値とほぼ変わらない。日本も中国に劣らず、世界トップレベルの農薬大国であるため、本当に野菜は国産の方がいいのかは疑わしい。
カシミヤのセーターも、非常に高級で肌触りの良い商品として知られるが、その分非常にデリケートな素材であることはあまり知られていない。カシミヤは、ピリングと呼ばれる毛玉が頻繁に発生するし、水には弱く濡れればすぐに拭く必要がある。例えば、カシミヤの利点を「肌触りの良さ」と捉えるならば、同様にセーターの素材になるアルパカの毛を使用したものでも、同様の肌触りの良さがある。それに、アルパカは毛玉ができずらいという利点もある。
このように、ステレオタイプは、本質的にはそうではないことがある。
しかし、実際に僕がクライアントから依頼をされたら、
「国産」や「最高級のカシミヤ使用」という訴求分を広告に用いるだろう。
というのも、物事の「本質」というのは、あまり消費者にとって重要ではないからだ。
上記の二つ「国産野菜」「カシミヤのセーター」の説明は、ある一定の側面から本質的で、消費者にとって有利になる情報かもしれない。ただ、実際にこんな情報は、世間一般のマーケターからすると大した情報ではなかったりする。
あらゆる企業のマーケターは、限られたスペースで自社の、クライアントの商品が最大限売れる仕組みやキャッチコピーを考える必要がある。例えば僕の場合、それがGoogle広告だったり、LINE広告だったり、インスタグラムの広告だったり。つまり僕の場合、限られたスペースというのは、Google広告における文字数制限だ。
Google広告の検索広告は、広告見出し1、2、3がそれぞれ30文字(半角表記)で、説明文1、2が90文字(半角表記)、パス1、2がそれぞれ15文字(半角表記)の文字数制限がある。あらゆる広告運用者は、基本的にはこの枠組みの中でモノやサービスを最大限に訴求する必要がある。
上記のような制限の中で、アパレル企業のECサイトを運営したとすると、
「セーター 冬用」みたいなキーワードの際に、僕はきっと「カシミヤ」であるという利点を訴求に用いる。アルパカのセーターがあったとしても、だ。
本質的なことを考えると、カシミヤであることは消費者にとってあまり有益ではないかもしれない。つまりは、別のメリットを訴求する必要がある。しかし、それでもあえて「カシミヤ」を使う。多分、限られた文字数の中で「最高の肌触りのカシミヤセーター」みたいな感じで、広告を出すだろう。
それはなぜか。
なんというか、空気を読んで、お茶を濁したのだ。
平凡なマーケターは空気を読む
僕はとても、平凡なマーケターである。気の利いたキャッチコピーや、誰もが驚く施策を思いついたりはしない。できる範囲の当たり前のことを、できる限り高速でPDCAを回していくしかできない。
しかし、同時にそれでいいとも思っている。消費者にとって、気の利いたキャッチコピーや、誰もが驚く施策は果たして本当に有益なのだろうか。テレビで流れるCMなんかを見ていると、たまにクリエイターのマスターベーションを見ている気分になる。本当に大事なことは、求めているモノやサービスを簡潔に、わかりやすく伝えることだ。平凡なマーケターは、かっこいいクリエイターとは違う。※ブランディングでマスターベーションチックなCMを流すのが良いこともあるし、抽象的な表現をとった方が訴求になることもある。
実際に僕が関わってきた優秀で平凡なマーケターは、空気を読むのが非常に上手だ。それは、会話の中でもそうだし、市場の、世間の、物事の、何より消費者の空気を読む。
消費者はアルパカのセーターなんて知っちゃいない。セーターなら「最高級のカシミヤ使用」という情報を出してあげた方がユーザーは喜ぶのだ。つまりは、空気を読んで、お茶を濁した方が良い。
あとがき
色々勝手なことを書いたが、僕は「カシミヤ」や「国産野菜」が悪いとは、正直思ってはいない。文章中では、それっぽい流れにするために「よくないもの」として取り扱ったが、それは実際はある一側面なだけなので、本当のことはよくわからない。ただマーケティングをするとき、というかキャッチコピーを考えるとき「ステレオタイプ」というものを意識して考えてみると、いいかもしれない。